カトー折りの散歩道(第三十八歩)

■発言をしようじゃないか

私たちはいつも見えない問題に取り組んでいるようだ。このコラムでさえ、締め切り日となってしまい、どのような展開で書こうかと考えてはいないのだ。でもはっきりと言えることは、いまの自分が感じていることを正直に書いてみたいという点だけだろう。

そのマンションの話で言えば、我がマンションでは大規模修繕工事が始まろうとしているわけで、私も専門委員会の副委員長として関わっており、この足りない積立金をどのように都合をつけていくのかは、これから次第である。まったく、このコラムと同じようにどういう展開が待っているのか、わからないのである。

自分のことは言えば、このネット公開用のカトー折りの動画収録が5月中旬にあって、これをどのような展開ストーリーにするか、なかなかまとまらないのである。他人のことなら、すぐアドバイスできるのだが、自分のことになると、その時の感情によってまとめ方の方向が違ってしまい、何度も書き直しする状況なのである。これに自分は参っている。その解決方法がいかに自分事を客観視して、他人の作品のように見れるようになれれば、これが進むのである。いわゆる「井戸の中の蛙」からの脱却術が必要なわけで、徐々にその客観的に見れるようになってきて、カトー折りというものが折り紙とはまったく違う分野だということがわかってきた。正方形の紙を幾何学的に折ることで誰もが同じ形のものができるのが折り紙だが、カトー折りは折る場所と折る順番だけが決まっており、その場所をいくつ、どのくらいによって、袋になったり、素早く、丈夫な袋ができたりする。折り紙は折り鶴、千羽鶴のようにお見舞いや応援になるもの、誰もが自然に覚えるもの。カトー折りは、身近にあるチラシを使って、食べ物のお皿にしたり、ゴミ袋にして、その役目で働いてくれるものだ。
さて、こういった動画を見知らぬ人が興味があるのかわからないが、何しろ社会貢献をしてくれる折り紙、カトー折りを覚えて、エコや防災に役立ててはいかがでしょうかという発信をしようと思っているのである。

ぼや~としている毎日だが、マンションの大規模修繕を具体的な活動に変えていくこと、カトー折りも社会に必要なものとアピールしていくこととも、みんな自分の中にその答えを持っているのである。そのぼや~としている中から、これだーというものを見つけるには、ここが大事だと気づいたら、忘れずにメモを取って、それが必要だということをしっかりホワイトボードに書いて、客観視できるようにすることが大事なんだということをつくづく思うのである。
井戸の中の蛙のように自分の考えやアイデアは、その中では安全で快適かもしれないが、それでは本当の自分、本当のことはわからない。表に出して、発言して、批判されてもいいし、無視されてもいい。それが真実なのだということに気づかないといけない。そうしないと大規模修繕に費用が足りないから借りると言っても、その手続きや準備がたいへんなのだが、みんなで手分けしてやらないとできない。そうなるには、自分が表に出て、たいへんだから、しっかりやっていこうと伝えないといけない。表に出て、発言をしようじゃないか。それが前進するための武器ではないかと思った。(カトー折り 加藤 祐一)

■今月のカトー折り
~新聞紙をつなげる~
新聞紙や紙などを横に繋げて、大きな紙にする折り方を紹介します。
避難所で、何もない中で、簡易的な垂れ幕で案内や注意喚起、区画の仕切りのカーテンとして役立ちそうです。